左から来る

右からは来ません

KISSの法則

そいつはインスタントコーヒーに砂糖を数杯入れて飲む男だった。体に良くないからやめておけと注意しても譲らなかった。

「u80さん、自分の親父が歯医者行くたびに歯が無くなって帰ってくるんですけど、これおかしいっすよね?」

 

彼の親父さんを見たことないけれど、彼は親父ネタが豊富で僕は羨ましかった。そして歯が無くなってゆく親父さんへ同情の念を禁じ得なかった。

詳細は書けないけれど嫁の性癖について真顔で相談されたこともあるが、親父の通う歯医者について相談されたのは後にも先にもこれっきりだ。

 

僕も今朝、腫れるばかりの片頬をさすりながら、抜歯覚悟で歯医者に行った。

「痛いと思いますけど、ちょっと我慢して下さいね」

チリリ。火が走ったような熱に似た、突き刺すような痛みが二度、三度と突き抜ける。麻酔後、切開されて消毒。小学生時分に虫歯で同じような痛みを感じた記憶が蘇った。

続いてジャック・バウアーが拷問される姿。エージェントスミスに拷問されている、白目になって打ち震えるモーフィアス。脂汗が額から流れ落ちた。拷問に耐えるトレーニングってどういうものなのだろうか。

「……ああ」
「いやあ、痛かったでしょう? 腫れている箇所への麻酔は特にね。……レントゲンでも確認しましたが安易に抜くより、まず様子を見させて下さいね。それから歯磨きは優しく、丁寧に」

 

もう手遅れかも知れないけれど冒頭の親父さんにここを紹介してやりたい。と僕はそう思った。

親父といえば、畑は異なるけれど僕の父もエンジニアの類だ。僕の子も僕と似たような道を志していると耳にしたが、代々職人気質なのかも知れない。

今の僕は、白黒はっきりしたテクニカルな世界だった筈がどんどん抽象化されてどう料理していいものか分からなくなってしまっている。方法論が未だ確立されていないことも多い。

辿り着いたと思っても、次の地平が広がっている。それはまるでインフレーションを起こしている宇宙のようだ。

僕の孫あたりが特異点を越えてくれるのではないかと、密かに期待している。

 

ちなみに僕は父と電話越しにしか話したことがない。

「人生を難しくするな。シンプルに生きた方が人はより幸せなんだ」

 

僕にそう伝えたことを覚えている。当時は反発したものだが、多分父の言葉は間違っていないと僕は思う。そしてそれで十分に僕の父としての役割を果たしてくれたのだと。

僕にわざわざそれを伝えたのは、おそらく知れば知るほど何も分からないことに打ちのめされてきたからだろう。落ちこぼれの僕でもそうだからだ。

僕が出した結論も「人生もシンプルであればあるほど、美しい」だ。回り道したが、父と何も変わっていない。それをようやく受け入れることが出来た。

果たして僕の子はどのようにして生きてゆくのだろう。

 

"Keep it simple, stupid"

 

人と人との関係性に於いてもそうだ。小難しい講釈を垂れる必要はない。
反論があるのも勿論分かるけれども、「そうは言っても」なんてややこしくすることはないのだと思う。

掘り下げて、削ぎ落として、そこに何が残っているのか。それを穏やかに受け入れるだけなのだ。

僕はそれが出来ていなかったからややこしかったのだろう。

 

そう、僕はもう僕の本当の気持ちを知っている。

 

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