左から来る

右からは来ません

ふわふわした時間の存在

朝日が漏れ出したカーテンの隙間を眺めると、無数の埃が舞っている。

僕の心の中も、何も考えていないようでそうではない。

あっちこっちに飛び跳ねて、虚妄を次々と生み出している。

 

 

自分を玉ねぎのように剥き続けていたら、やがて何もなくなってしまった。

気付いたんだ、僕は空っぽだと。

 

これは以前、僕が抱えていた怖れだ。

そうじゃないんだ、と必死に取り繕ってきたのだと思う。

つまるところ、町田康の「告白」よろしく「あかんかった」わけだ。

自分という存在を証明し得る核のようなものがあると信仰していたかったが、考えれば考える程、そんなものがあるのかどうか疑わしくなってしまったのだ。

ただの乾いた曠野。

 

今はたとえそれが真実だとしても構いやしないのじゃないかと思っている。

仮に露見し得るものであるとして多少バツが悪い思いをしたとしても、時が癒してくれるだろう。

そんな風に開き直ってしまったのか、空っぽだろうがそうでなかろうが重要な事柄ではなくなってしまったのかも知れない。もっと大切な事があるのだと。空っぽなら何かを収納してやるさと。

 

そんな僕に生まれた新たな顕在的怖れは、「何かを選択しなければならない時に、為すべきことが出来ない」ことだ。それは生物が抱える根源的な怖れに通じていて、おそらく容易く手懐けられるものではないだろう。

 

ああ、分かってる。それが怖いのだ。その通りだ。僕は怖れている。

 

分類して静かな気持ちで観察するだけ。

諦めに似ているが、完全降伏とは些か異なる。受け入れて「肩の荷が下りて楽になる」という方が近い。打ち克とうとすればするほど、そいつはどっかと胡座をかいて居間に居座ってしまう。

 

空っぽだとしても僕の王は僕であり、怖れではないのだ。ましてやどこかの誰かでもない。

 

それどころじゃない。腹の方が空っぽじゃないか。

今、冷蔵庫に卵が2個あってそれを目玉焼きにするのが得策か、卵かけご飯で手早く空腹を癒すべきか。消化吸収を考えると温泉卵がベストのような気もするが。

 

ああ鶏肉じゃなくたまには豚肉も食いたいな。

肉から滴るような油がそそるなあ。確率統計的に捉えたら、鶏肉を食っている僕が居る世界と豚肉を食っている僕が居る世界はそれぞれ何パーセントになるのだろう。魚という伏兵も侮れないなあ。

 

そういえば、なんのてらいもなく誰かのことを好きと言っちゃえるあいつは凄いな。

今までどのようにしてあいつは生きてきたのか興味深いな。

いや、僕の感覚がズレているだけかも知れない。

 

そう。観察する自分によってある日改めて気付かされた。

数え上げたらキリがないほど、上記のように日々しょうもないことやくだらないことばかりに気を取られている。これらの10%でも建設的な事に振り分けることが出来たならば、ちょっとはマシになれるのかも知れない。

はいはい分かったから、ちょっとこれやっといてね。と、観察する自分がふわふわしている自分に具体的タスクを与えてみるのは面白いかも知れない。(ふわふわが悪と断じることは出来ないけれど。

 

それってただのセルフコーチングではないか。

まずはそっちなのか、と気付いたのです。

 

取り敢えず、タスクが思い浮かばない時は腕立てとスクワットでもいかが?

 

u80.hatenablog.jp

 

不幸なのか幸いなのか僕はやりたい事があって脱線することは多々あるけれど、淡々と続けている。華やかでもなく、格好良くもないけれど、いずれはこの世の中の誰かの役には立つだろうと信じている。

 

町田町蔵と名乗った彼に、「兄ちゃん、何もなくてもいい、パンクは歌わなあかん」と言われたが、これがそういうことなのかも知れない。